実録M&A

有限会社 赤城運送の高崎社長は悩んでいた。というのも、先日の検診で癌が再発したことが判明したからだ。2年ほど前に癌の摘出手術をし、完治したと思っていた矢先だっただけにショックだった。赤城運送は高崎社長の他にドライバー6人を雇用しており、10トントラック6台、4トントラック1台の小規模な運送会社ではあるが、榛名工業の製品である化学肥料の運送を一手に請け負っており、売上高、利益ともに安定している。

売上高は年6000万円、減価償却前利益は600万円でここ数年は推移している。借入金は車両を購入した際の借入金が1200万円残っており、高崎社長からの代表者借入が800万円である。純資産はほぼゼロである。

ドライバーは6人が40代から50代で大型免許を保有している。高崎社長は自分にもしものことがあったら彼らはどうなるのか心配で夜も眠れないのだった。息子は2人いるが、大学を卒業して大手電機メーカーの社員をしており、今さら運送会社の社長をやる気はない。奥さんは10年前に亡くなっており、自分に何かあったら経営する人がいなくなってしまう。

実は数年前からドライバーの一人で、20年以上前からの社員である白木さんに譲ろうと思い、打診してみたのだが自信がないと断られたことがある。そこで、誰か会社を引き取ってくれないかと考えてみたのだが、どうしたらいいのかわからないのである。

ところが、ある時に運送業者の集会で妙義運送の前原社長から、会社を売るって話はどうなりましたか?と話をされた。2年ぐらい前の癌の摘出手術の前に、弱気になってうちの会社を買ってくれないかと言ったことを覚えていたようだ。妙義運送の亡くなった先代社長にはいろいろ経営の相談にのってもらったこともあり、二代目の前原社長とも以前から親しい中だった。妙義運送は車両も50台ちかく保有しており、近所では有名な会社である。

妙義運送なら悪くないなと思ったところ、前原社長から、いい先生がいるから一度、会って話を聞いてもらいませんかと、公認会計士の先生と会うことになった。

1週間ほどして、前原社長から電話があり公認会計士の下山先生の事務所に2人で訪問することになった。その下山先生は、妙義運送の税務顧問であるだけでなく、経営面についてもいろいろな経営アドバイスをしており、前原社長とは古い付き合いであるということであった。下山先生は、M&Aの手順について説明した。

「今回の場合、既に売手と買手が決まっているので、まず、企業評価をして、価格がいくらくらいになるのか調べてみるのがいいでしょう。価格が安すぎたら売らないという選択をすればいいですよ。もしも価格について不満がなかったら基本合意書というのを締結します。これは売買の条件について簡単にまとめたものですが、基本合意書を締結した後で、きちんとデューデリを行い、会社を法務、会計、税務面からチェックを行います。その結果、見つかった評価減項目や問題点があればそれを価格に反映させたり、覚書を結んだりして、最終契約書を作成し、最終契約書において実際に会社を譲渡する(株式譲渡の場合もあれば、事業譲渡の場合もあります)ことを契約します。株式や事業の譲渡とそれの対価としての現金の授受をクロージングと呼ぶこともあります。」

高崎社長は、とりあえず企業評価をしてもらうことにした。3日後に下山先生が赤城運送の事務所を訪れた。下山先生は説明した。

「企業評価をするにあたって仲介契約書を私と結んでください。今回の場合、買い手が決まっているのですが、もしも価格が折り合わない場合には他の買い手を探します。前原社長とは長い付き合いですが、今回は高崎社長の利益を最大化するように一番高い値段を出した買い手を探すことにします。私への報酬はクロージングが終わってからで結構ですが、一般の手数料率は次のようになります。買い手が前原社長であれば買い手を探す手間が省けるので半額にします。手数料料率表は下の通りです。大手のM&A仲介業者と違い、私の事務所は地方の零細事務所ですので、ご覧のとおり相場の半分以下になっています。さらに、この仲介契約書のここに、買手が前原社長である場合には半額にする旨、書いてあります。また、この仲介契約書には秘密保持義務条項も入っているので、私が他社に御社の秘密を漏らすことはありません。秘密と言えば、今回のM&Aの件については、従業員には言わないでください。M&Aが不成功になることもありえますし、あらぬ噂が立つと御社のためになりません。」

手数料料率表

譲渡価格(借入金を除く) 一般的な料率 下山事務所の料率
1億円以下の分   10% 5%
1億円超3億円以下の分 8% 4%
3億円超5億円以下の分 5% 3%
5億円超10億円以下の分 4% 2%
10億円超の分 3% 1%

「今日は企業評価にあたって必要な資料を拝借またはコピーさせていただきたいと思います。

①   会社パンフレット

②   商業登記簿謄本

③   過去3年分の決算書及び税務申告書

④   車両の状況(車検証)

⑤   土地、有価証券等の時価情報

⑥   借入金の状況(借入先,返済スケジュール,利率等)

⑦   保証債務・被保証債務

⑧   従業員名簿及び保有資格)

⑨   就業規則・給与規程・退職金規程

⑩   過去3年分の主要顧客別売上明細

⑪   過去6か月の運行日報

これらの資料を貸していただければ、必要なものはコピーを取って3日後にはお返しします。」

 

下山先生は書類を持ち帰った。

数日後。

下山先生に呼ばれて、高崎社長は下山先生の事務所を訪問した。

「今日はご足労頂きありがとうございます。

企業評価の結果が出ましたのでご報告いたします。

御社の売上高は年6000万円、減価償却前利益は600万円で安定して推移しています。銀行借入金が1200万円で高崎社長からの代表者借入が800万円となっています。貸借対照表上の純資産はほぼゼロです。

通常の企業評価額の方法としては、中小企業だと純資産方式が最も多いです。これで評価しますと、前決算期の貸借対照表をもとに資産を時価に直して計算することになります。

貸借対照表を見ますと債務超過ですので、純資産はマイナス1000万円です。しかし、保有しているトラックの評価額が簿価よりも1000万円ぐらい高いため、ちょうどこのマイナスを相殺することになり、時価評価後の純資産はゼロということになります。

一方で、収益性から営業権を評価します。減価償却前営業利益が現在600万円ほどですが、このくらいの規模の運送業ですと減価償却前営業利益の3倍位が営業権評価額ですので、1800万円前後となります。

会社の株式の評価は、時価純資産+営業権となりますので、1800万円ぐらいが企業評価額ということになります。」

40年前に赤城運送を設立して経営したが、せいぜい1800万円ぐらいの価値しかないと聞いて少しショックを受けた。65歳を超えてからは年金があるので、役員報酬を月20万円に抑えてきたが、1800万円というのは高いのか、安いのかよくわからない。今後の余生を考えると、もう少し欲しいというのが本音であった。

 

下山先生は続けた。

「御社の場合、トラックとドライバーの稼働率がとても低いのです。年間の出勤日数、運行時間などをドライバーごとに調べてみました。その結果、稼働率の平均は約70%になっています。1月や2月のように出勤日が10日なんていうドライバーもおります。日給月給制なので出勤しない日の給与は払っていないので、ドライバーの給与も業界平均より低くなっています。稼働率を90%に上げることができれば、もっと利益はでるはずです。」

高崎社長は答えた。

「といっても、うちの顧客は榛名工業だけなので化学肥料が出荷されるときだけしか仕事がない。他のものを運んでも、最近は運賃が低いのでくたびれ損になるくらいならやらないほうがましと思って、ドライバーを休ませているんだよ。」

下山先生が言った。

「ドライバーさんはその給与で満足していますか?もっと仕事をして給与を増やしたいとか思っていませんか? 誰でも給与が増えるのは嬉しいと思いますよね。妙義運送は自社車両では仕事が間に合わないので、傭車をたくさん使っているのですが、その金額は年間1億5千万円にもなります。妙義運送から1500万円ぐらい仕事を回してもらうということができます。傭車なので利益率は低いですが、それでも10%ぐらいの利益率はあるはずです。これで年間150万円の利益増加が見込めます。

また、事務員さんですが、会社を売却した後に、高崎社長と一緒に退任されるということですので、そうすると二人分の給与400万円が削減されることになります。

事務員さんがやっている仕事は妙義運送の事務員さんに引き継いでもらうことになりますがフルタイムでやるほどの業務量もないので、半人分として150万円ぐらいの人件費を見ればいいでしょう。ちなみに、こういったM&A後に生じる効果をシナジー効果と呼びます。

 

減価償却前営業利益 +600万円
妙義運送からの売上受注による利益 +150万円
事務員+高崎社長の給与 +400万円
妙義運送が負担する事務作業の人件費 △150万円
合計 1,000万円

                                                    
従って、修正後減価償却営業前利益は1000万円ということになります。これで営業権を評価すると、前述のとおり、3倍が企業評価額ですので3000万円の営業権があると考えられます。時価純資産はゼロですので、会社を売るには3000万円が評価額だと思われます。

3000万円で前原社長に提案してみましょうか?」

高崎社長は3000万円なら売ってもいいかなと思った。

「3000万円でよろしくお願いします。」

 

それから3日後、下山先生が高崎社長に電話をしてきた。

「前原社長が3000万円でいいと言ってきました。最初は、もう少し安くして欲しいと言ってたのですが、この値段なら他にも買い手はいるはずだから値下げはできないと強く主張したところ、ここで値切っても仕方ないし後で高崎社長に恨まれてもなあということで、この金額でOKとなりました。ただ、支払方法としては。契約時に1000万円、1年後に1000万円、2年後に1000万円と3分割にすることになりました。これでいいでしょうか?

できれば、明日事務所に来ていただけませんか?前原社長にも来てもらって、具体的に契約内容を詰めていきたいと思います。」

翌日、下山先生の事務所に高崎社長と前原社長が来訪した。そこで次のような内容の基本合意書を結ぶことになった。

 

l  赤城運送の全株式を高崎社長から前原社長に1円で譲渡する。

l  赤城運送は3000万円を役員退職金として高崎社長に支払う。支払方法はクロージング時に1000万円、1年後に1000万円、2年後に1000万円とする。

l  前原社長はクロージング後、速やかに代表取締役に就任する。高崎社長は1年後まで代表取締役として経営を継続し、1年後に退任する。その後は顧問として営業をサポートする。

l  デューデリは下山先生が行い、30日以内にデューデリの結果を報告する。その際、決算数値に大幅な修正が認められた場合には価格を調整する。

 

基本合意書締結後60日以内に最終契約書を締結すること、それまで独占的交渉権を前原社長が有すること、秘密保持条項などを入れて契約書を作成し、高崎社長と前原社長が署名押印をしました。

基本合意書には法的拘束力を持たせないのが一般的で、最終合意に至らなくても違約金の支払いなどは発生しません。デューデリの結果、思わぬ欠陥が見つかったような場合には大幅な価格の引き下げや条件面の再交渉となってしまい、売手が売却する意思を失うことも考えられます。また、買手がずるずると意思決定を延ばすような場合には、交渉打ち切りということもあります。

小規模なM&Aでは基本合意書を結ばずに、本契約書を結ぶ場合もあります。しかし、時間が許す限り、基本合意書を結んだほうがいいと思います。基本合意書には次のような効果があります。
①当事者が誠実に実行をする基礎となります。(口約束だけではダメ)。
②買い手は、独占的交渉権をもつので慌てずに判断できます。
③最終契約までのスケジュールが明確になります。
④最終契約書の雛形となります。

 

今回、役員退職金で高崎社長に3000万円を支払うことにしたのは、株式譲渡益と役員退職金では税引き後の手取り額が違うからです。一般に、株式譲渡益には20%の分離課税が課せられます。

したがって、3000万円―300万円(出資額)=2700万円が株式譲渡益となりますのでそのうちの20%=540万円を税金として納めなければなりません。

一方で、役員退職金では勤続年数20年まで1年間に40万円、20年超については1年間に70万円の控除が取れます。高崎社長の場合、40年勤続ですので、2200万円の控除額となります。

3000万円-2200万円=800万円

800万円の2分の1の400万円が課税対象額となります。これを所得税の税率表に当てはめて税金を計算します。そうすると所得税は37万2500円となります(これに復興税が2.1%(7800円)かかります)。住民税は10%で40万円となります。総額で78万300円となります。つまり、高崎社長の純手取り額は3000万円-78万300円で2921万9700円となります。

 

2か月後。

デューデリは下山先生が行いましたが、既に企業評価の時に大まかにですが企業内容を調べてあることもあり、大きな修正項目は出ませんでした。ただ、減価償却前利益が本当に1000万円も出るのかという前原社長の指摘があり、これについては高崎社長と交渉をして、1年間は代表取締役として営業努力をするので、翌事業年度の減価償却前利益が1000万円を下回った場合には、未達金額の半分を退職金から減額するということで合意してもらい、最終契約書に書き入れました。

最終契約書の調印は下山先生の事務所に高崎社長と前原社長が訪れて、行いました。調印が終わった後、高崎社長は言いました。

「本当にこれで良かったと思います。前原社長は地元でも有名な経営者なのでこれで安心です。いつ死んでも心配はありません。」

前原社長は慌てて「そんなこと言わないで下さいよ。まだ1年間は代表取締役として面倒みて頂かなけりゃいけないんだから。またその後も高崎社長の健康状態が良ければ、顧問として残ってもらうことも考えていますから。今日は第1回支払い分の1000万円を高崎社長に支払うように経理に指示してありますからね。」

 

数日後。

下山先生が赤城社長の会社を訪問しました。

「これが最終契約書及びデューデリの報告書の完成版です。お受け取りください。2900万円と会社に対する貸付金の800万円の合計3700万円がこの3年間で高崎社長の銀行預金に振り込まれることになります。

つきましては、お約束の手数料ですが125万円となります。」

 

時価純資産 0
+借入金 2,000万円
+営業権 3,000万円
合計 5,000万円

手数料率表ではこれに5%を乗じたものだが、買手が決まっていたので半額とした。